規律と厳格、自由意志

自由というのは実に難しい言葉である。
そもそも自由とは、奔放と同様の言葉ではない。
近年の自由とは、覚醒した意識でもなければ奔放でもなく、混沌だと言えるだろう。

人としての規律と厳格がなければ自由という言葉は無である。

規律と厳格などの言葉を堅苦しく、押さえつけられてるかのような感覚に捉われるのは自信無さゆえに生まれるのだ。
自由な意思は決して簡潔に使われる言葉でもなければ、簡単に手に入るものでもない。
確固たる意思に従い、崇高たる自我の規律という知識を獲得し、そしてその知識を素晴らしい知恵に転換してこそ生み出せる大いなる力のことを自由とワタシは読む。知識だけでは何も動かす事はかなわない。
原動力となる大いなる知恵の力を忘れてはいないか。それを毎日のように自問自答する。
知識と知恵は切り離してはならないものであり、 人として生きる事の悟り(自我)は自由意志に納まる。

「方法」は常に自我の中に存在することを理解したい。

方法は知識を学ばせ、そして自我の「選択」を導き出す。

正しい「選択」こそが自由意志の真の答えだ。